ニュージーもやさしい人であふれている。
こんにちは。
今日、いつもの英語のクラスに行きました。
何回か書いているとおり、この英語のクラスの参加者の多くはムスリム(イスラム教徒)で、モスクで金曜礼拝をする家族ももちろん多い。
ニュージーに来なければきっと関わらなかった、イスラム教徒の人々。
英語の先生もシリア出身のムスリムの女性。
先週金曜日のクライストチャーチモスク銃乱射テロでは、
シリア出身の方も犠牲になり、非常に辛い気持ちで週末を過ごしたと言う。
今日の英語のクラスでは、
先週からやっていたペーパーはお休みし、
「今回のテロについてどう感じたか。」
「今回のテロについて、子どもになんと説明するか。」
という、重く、難しいテーマのフリートークとなった。
「what do you think about it?」と、
先生から突然のトップバッター指名。
「I cannot express my feeling well...but such a thing will never happen again...I hope.」
ゆっくりだけど、意外とすんなりと口から出てきた英語。
こういう時は英語が達者でも達者でなくても大して変わらないのかも。
正直、「なぜこんなことを?」以外、なんて言ったらいいか分からないというのが本当のところ。
大人でさえ受け止めきれないほど辛い悲しい事件。
子どもにはどう伝えるべきなのか?いや、伝えなくちゃいけないの?
するとシリア出身の先生が言った。
「子どもに、今回のテロについてどう説明し、自分の気持ちを伝えるかは、大人になるうえで大切な「善」と「悪」を学ぶことにつながる。とても辛いし、二度と起こってはいけないが、善悪を学ぶとても大切な機会。たとえ、子どもにとって難しくても、自分自身うまく言葉にできなくても、
『このテロの犯人はすでに捕まったから安心して。』
『こんなこと、あなたは決してしてはいけない。』
『こんなこと、二度と起こってはいけない。』
『この犯人のような悪い人は世界に少しだけで、あなたの周りのほとんどの人は、黒い人も、茶色い人も、白い人も、黄色い人も、やさしい気持ちであふれている。』
と、精一杯自分の気持ちを伝えてあげましょう。必ず伝えてね。」
たぶん、こんな感じで話していたと思う。
そっか~。たしかに、あんな人はほんのほんの一部で、やさしい人ばかりのはずだよね。
ニュージーだって、日本だって、やさしい人のほうが多いに決まってる。
親方は、ぜったい理解できないだろうけど、帰ったら言ってみようと素直に思った。
フリートークのあとは、英語のクラスを主催している団体の本部の女性も参加して、「心のケア」が始まった。
そりゃそうだ。
「宗教」「人種」という大変大きな「グルーピング」が発端となって起こった今回のテロ。
「イスラム教徒」だからというだけで殺されてしまった犠牲者。
例えば「日本人だから」というだけで、
数日前に銃乱射テロが国内で起こっていたとしたら、
怖くて出歩けないかもしれない。
わが子を学校に行かせたくないかもしれない。
参加しているムスリムのお母さんの10歳の娘さんが、
このテロでクレイジーな犯人がSNSを利用し流していたという恐ろしい動画を少し見てしまったそうで、毎日泣いて学校に行けないでいるという。
見てはいけない、広まってはいけない動画や写真ほど、一気に話題となってしまうという…。
決して動画は見ないこと。
決して動画はシェアしないこと。
このことについても強くお互い認識し、
追悼の言葉をみんなで本に書き(クライストチャーチへ送るらしい)、今日の英語のクラスは終わった。
本当に身勝手で、悲惨で、辛い、後味の悪いこのテロ。
ブログ書いてても、やっぱり気分は沈んでくる。
でも、本当にまとまりのない内容だけど、なんとなく書き残しておきたい。
とりあえず、明日も英語のクラスに行こう。